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熊本地方裁判所八代支部 昭和38年(ヨ)52号 判決 1966年12月28日

申請人 角田安雄

被申請人 興国人絹パルプ株式会社

主文

申請人が、被申請人との間に、雇傭契約上の地位を有することを仮に定める。

被申請人は、申請人に対し、金二六万三、九三九円およびこれに対する昭和四一年五月二八日から支払ずみまで年五分の割合による金員ならびに昭和四一年六月以降毎月二五日限り、金三万四、六七〇円およびこれに対する毎月二六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

申請人のその余の申請は、これを棄却する。

訴訟費用は、被申請人の負担とする。

(注、無保証)

事実

第一、当事者の求める裁判

一、申請人の求める裁判

申請人が被申請人に対し、雇傭契約上の地位を有することを仮に定める。被申請人は、申請人に対し、金二六万四、八八二円およびこれに対する昭和四一年五月二八日から支払ずみまで年五分の割合による金員ならびに昭和四一年六月以降毎月二五日に金三万四、六七〇円および右期日の翌日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え、訴訟費用は被申請人の負担とする、との裁判。

二、被申請人の求める裁判

本件仮処分申請は、これを却下する、訴訟費用は申請人の負担とする、との裁判。

第二、申請の理由ならびに被申請人の主張に対する反論

(申請の理由)

一、当事者関係

(一) 被申請会社(以下単に会社ともいう)は、パルプ、紙、化繊等の製造ならびに販売を主たる業務とする株式会社で、本社を東京都港区に置き、支店を大阪市に、佐伯市、富山市、八代市ならびに吉原市に各工場を有し、佐伯工場、富山工場においては、主としてパルプを、八代工場においては化繊を、富士工場においては紙を各生産している。

(二) 申請人は、昭和二五年一〇月一〇日被申請会社八代工場に臨時工として雇われ、同二六年一月一日社員に登格し、同工場原液課に勤務し、同三四年三月二一日紙パルプ産業労働組合連合会(以下単に紙パ労連という)傘下の興国人絹パルプ労働組合(以下単に興人労組または組合ともいう)中央執行委員長に選任され、爾来組合専従のため休職となり、本件解雇当時まで従業員の地位を有していた。

二、解雇

被申請会社は、昭和三七年六月一二日、申請人に対し、会社就業規則第五六条第五号により即時解雇する旨の意思表示をなし、以後申請人の従業員としての地位を否認し、現在に至つている。

三、解雇の無効

本件解雇は、以下詳述するとおり不当労働行為(労働組合法第七条第一号、第三号)であるから無効である。

(一) 興人労組の活動ないし申請人の組合活動

1 興人労組と合理化反対斗争

(1) 興人労組は、被申請会社従業員をもつて構成され、本社、富山、富士、佐伯ならびに八代に各支部をもち、紙パ労連傘下の組合の一であつたが、昭和三三年の組合員の大量解雇にともない組織の再建にせまられ、申請人らが中心となつてその再建をすすめ、申請人は、昭和三四年三月、興人労組の中央執行委員長に選任され、以後組合の中心的人物として組合の組織の維持、その活動等に重要な役割を果してきた。

(2) ところで、被申請会社は、昭和三五年ごろから、企業の合理化を進め、紙、パルプにおいて、高価な針葉樹パルプから比較的安価な広葉樹パルプへと切りかえ、そのための設備が新設され、同時に技術面でも自動化、高速化、大型化が進められるようになつた。これらの合理化計画は、一方では労働者の解雇、配転、事業場閉鎖、操業度強化に必要な人員を増加しないままの連続操業、福利厚生施設の廃止、諸料金の引上げ、他方では賃金の定昇固定化、安定賃金、職務給の導入等によつて進められてきた。このように、企業の合理化が、いずれも労働者の犠牲と労働条件の低下のもとになされていることから、組合としてもこれに強く反対し、その運動を展開してきた。

(3) これよりさき、昭和二八年五月ごろ、紙パ労連は臨時大会を開いて連続操業問題について討議し、連続操業(以下単に連操という)が、(イ)労働者の労働が強化されること、(ロ)日曜日に休むという労働基準法の精神および社会慣行に基づく労働者の権利が侵害されること、(ハ)労働災害が多くなること、(ニ)労働組合運動に支障をきたすこと等の弊害をもたらすので、連操に反対の態度を決議するに至つた。しかし、当時紙パ労連およびその加盟単組においても、会社の要求する連操に反対であつてもこれに対抗するだけの力に欠けていた。そこで、昭和三六年にいたり、紙パ労連関係の各社の連操協定の期限を昭和三七年三月に統一し、同時に連操問題を紙パ労連全体の統一斗争としていく方針を打ち出した。

2 佐伯工場における二九操業ならびに争議の経過

(1) 前述のように、企業の合理化計画に先だち、組合は、被申請会社の連操に反対し、斗争を繰り返してきたが、昭和三〇年九月二一日被申請会社と組合との間に、労働協約に指定休日条項を置くことに合意が成立し、指定休日制度をとるようになつた。しかし、指定休日制度は、如何なる連続操業形態をとるかについて、会社に絶対的な自由権を与えたものではない。それは連続操業、すなわち二六操業、二八操業、三十操業等を実施する場合の各労働者の休日の取り方についての協定であつて、指定休日制度によつて連続操業形態が決るのではないのである。佐伯工場において、右指定休日制度以前にも、すでに二九操業に関する協定が締結されており、右指定休日制度成立後においても、操業形態については、常に労使間で文書または口頭に基づく協定によつて実施されていたのであつて、この間労使の調整ができず、実施が延期され、協定をまつて実施した場合もあつた。

昭和三六年六月二六日被申請会社は、本社において、組合に対し同年一一月から佐伯工場における二六操業を改め、二九操業を実施したい旨申し入れてきた。当時組合側は、事前協議制を確立することによつて、被申請会社の合理化計画に対処しようとしていたので、これを中心に交渉をすすめることとし、同年七月一七日労使間に、「既存経営部門および新規開発事業の合理化計画については、組合と十分協議し、組合の了解後に実施する」旨のいわゆる事前協議協定が成立し、連続操業形態の問題をはじめ、その他の合理化計画の問題すべてにわたつて労使間の協議を必要とすることになつた。そして、連続操業に関するこの協定の意味は、協定当時の操業が二六操業であつたところから、二六操業を佐伯工場の原則形態とし、この二六操業を、労働条件を低下させる他の操業に変更する場合は、組合の了解を必要とする趣旨を指すのである。これにより、佐伯工場の合理化計画は、労使間の交渉で進められることになり、その主な内容は、(イ)佐伯工場のパルプ生産を現在の一日一三〇トンを一四〇トンにすること、(ロ)現行の二六操業を二九操業にすること、(ハ)それに伴う基準人員を確立すること、(ニ)一一月度から実施すること、(ホ)新規開発事業を行うこと、であつた。そこで、まず一日一四〇トン生産に必要な基準人員について一〇月二七日労使間に合意が成立したので、被申請会社は、一一月九日人員の補充さえ行えば二九操業ができるものとして、二九操業を強行しようとした。しかし組合は、二九操業についての協定が不成立であること等からこれに反対し、結局、被申請会社は事前協議制を無視できないことを了承して、一一月度の休日を組合の要求どおり、一一日、一二日、一九日、二〇日と指定し、二六操業を継続した。さらに一一月一七日労使間で交渉が行われたが、その際被申請会社側が、一一月度の指定休日についても、労働協約第五四条で指定できるのであるから、一方的に二九操業ができると主張して一二月度から二九操業を実施しようとしたが、組合の反対に会い、一二月度も二六操業を認めて、指定休日を行つたのである。その後労使間で交渉を重ね、翌三七年一月二一日付で「昭和三七年一月二一日以降四月二〇日まで従来の二六操業を二九操業とする」旨の協定が成立し、これに基づいて佐伯工場では二九操業が実施された。これらの経過のなかから、連続操業問題は、労働協約第五四条とはかかわりあいなく、事前協議協定によつて解決されることになつたのである。そして、事前協議協定ならびに佐伯工場の二九操業に関する協定が、右にみたような性格のものであることから、組合としては昭和三七年一月二一日以降四月二〇日までの期間だけ二九操業を認めたにすぎないのであつて、右協定期間終了後は二九操業に従事する義務はなく、四月二一日以降は、組合が認めた原則的操業形態である二六操業に戻るべきものと了解していたのである。

(2) 一方、組合は、昭和三七年三月二日、いわゆる春斗において、被申請会社に対し、(イ)賃金の一律六、〇〇〇円ベースアツプ、(ロ)年間一時金として組合員一人当たり基本賃金の六ケ月分の支給、(ハ)最低賃金一万円、(ニ)労働協約ならびに操業協定等の改定、を要求して団体交渉を重ね、他方、組合内においては、同月中旬ごろ、右春斗要求項目についてのスト権の確立にあたり、佐伯二九操業問題を連操協定要求に含ましめ、ついで連操協定要求を労働協約改定要求項目に含ましめて要求項目の整理を行い、他の要求項目とともに、一般組合員による無記名投票を行い、右のうち労働協約改訂要求について八六・〇五%の組合員の支持を得て、他の要求項目とともにスト権を集約した。したがつて、佐伯二九問題については、労働協約改定要求に含まれてスト権を集約したことになつた。

(3) 右のような企業の合理化反対斗争、春斗のなかで、被申請会社は、組合に対し、昭和三七年三月二〇日佐伯工場の二九操業を協定期間後である同年四月二一日以降も実施したい旨要求するだけでなく、一方的に会社の経営権で実施できる事であると主張し、反面二九操業を組合が認めなければ春斗要求についての修正回答はしないという態度に出てきたのである。ついで、四月五日、被申請会社は、どのような操業形態をとるかは経営権に属することであり、四月二一日以降の操業は、被申請会社が一方的に決定しうるとの立場から同年五月度の休転日を五月二日と指定してきた。これに対し、組合は、春斗で要求している操業協定について交渉し、操業問題全般を解決するなかで佐伯工場の連続操業問題を解決すべきであるとの立場から、まず春斗の操業協定について交渉するよう被申請会社に要求したが、被申請会社の拒否に会つて交渉に入ることもできなかつた。そこで、組合は、前述のように、協定がなければ、四月二一日以降は二六操業形態に戻るということを前提にして、被申請会社に、五月度も二六操業形態の休転日を指定するよう要求した。しかるに、被申請会社は、前記のように、一方的に四月二一日以降も二九操業を実施するという態度をかえないまま、五月二日を五月度の休転日と指定するに至つた。組合は、被申請会社のこのような態度にあつてやむなく中央執行委員会の決議により、二六操業形態を前提とし、昭和三七年五月度の休転日を五日、六日、一八日、一九日、二〇日と指定してその旨被申請会社に通告し、その後も労使間で交渉を重ねたが協定が成立するまでに至らなかつた。そこで、組合は、一般組合員に対し、休日消化のため同月五日、六日を権利として休務するよう指示教宣し、組合員は右指示により、争議行為として就労を拒否したのである。もつとも、佐伯工場における被申請会社指定の一斉休日には、組合員が出勤して就労し、会社も積極的に労務を受領したのである。このあと、労使間の交渉はあつたものの協定の成立をみず、組合は五月一六日、一七日は全面ストライキを行い、ついで一八日以降は無期限ストライキに突入し、一方会社も六月九日佐伯工場においてロツクアウトを通告するようになつたが同年六月一〇日、組合が一三日以降のストライキを中止する方針を決定し、一二日その旨被申請会社に通告した。しかし、前記のように、被申請会社は、一二日付をもつて組合中央執行委員長である申請人を解雇する旨通告してきたのである。

(二) 被申請会社の組合に対する態度

被申請会社は、前記のような合理化計画が進められるや、この合理化計画を容易に遂行するため、組合に対し攻撃を加え、組織の分裂を図るような手段を用いるようになつた。すなわち、組合を分裂に導き、それによつて組織力を弱めようと図り、組合内に第二組合の結成を働きかけ、この結果昭和三七年六月一一日組合佐伯支部に第二組合が結成され、ついで一二日には組合八代支部でも第二組合が結成された。

(三) 不当労働行為であること

以上(一)、(二)の事実を総合すると、組合が佐伯工場における昭和三七年五月度の休転日として五日、六日を指定し、組合員をしてそれを実行させ、あるいは被申請会社が指定した休日に組合員をして出勤させ就労させた行為は、いずれも佐伯工場における連続操業形態についての組合の主張である二六操業形態の確保と、あわせて同年三月の春斗要求を実現するための正当な争議行為であつて、これを指導した申請人の行為は、まさに組合活動そのものに他ならない。

しかるに、被申請会社は、その指導責任を追及するとして申請人を解雇したのであるから、それは、前記不当労働行為意思のもとに、申請人の正当な組合活動を排除し、組合の組織を破壊するために解雇したものというべきである。

それ故に、本件解雇は無効である。

四、仮処分の必要性

以上のように、本件解雇は無効であるから、申請人は、被申請会社の従業員たる地位を有すると同時に、申請人所属の興人労組が、昭和四〇年一〇月一一日、一二日開催した定期大会において、中央執行委員長を従来の組合専従から非専従にする旨の組合規約の改正を行い、その旨直ちに被申請会社に通告したので中央執行委員長である申請人は組合非専従者となり、ために、申請人において、被申請会社に対し、同月一三日から一ケ月金三万四、六七〇円の賃金請求権を有するようになつた。にもかかわらず、被申請会社において、本件解雇が有効であるとして申請人の地位を認めず、賃金の支払もしないので、賃金を唯一の収入として生活をしている賃金労働者である申請人にとつて生活の困窮をきたしていることは明白である。のみならず、解雇者として処遇されることによつても重大な損害を蒙りつつあるので本案判決の確定をまつていては、回復しがたい損害を生じていることも明らかである。そこで、申請人は雇傭契約上の地位を有することを仮に定めることとあわせて、昭和四〇年一〇月一三日から昭和四一年五月末日までの賃金合計金二六万四、八八二円およびこれに対する賃金支払日の後であること明らかな昭和四一年五月二八日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金ならびに昭和四一年六月以降毎月の賃金支払日である二五日に毎月金三万四、六七〇円およびこれに対する賃金支払日の翌日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるものである。

よつて申請人は、本件仮処分申請に及んだ。

(被申請人の主張に対する答弁ならびに反論)

被申請人主張第三、二の事実のうち

1  (一)、1の事実中、佐伯工場で過去二六操業、二八操業、二九操業が行われ、かつ指定休日制度が実施されていたことは認めるが、その余は不知。

2  (一)、2、(1)の事実中、会社主張のような協定条項のあること、佐伯工場の操業度が、会社主張のようなものであり、それに異議を述べなかつたことは認めるが、その余は争う。

本来企業所有権が会社にあることは、疑問の余地がないが、その企業の所有権に基づく操業度の問題について、労働組合が一切干渉することができないという意味の会社の専権は存在しない。すなわち、操業問題は、必然的に、労働条件に非常に大きな影響を与えるものであり、操業度と切り離して論じることはできないものである。したがつて、組合は、労働条件について満足できなければ、会社提案の操業度を拒否できるのであつて、労働条件に不満でも会社の提案した操業度を認めなければならないということはない。従来、被申請会社は勿論、それ以外の各会社でも組合との協定に基づいて実施してきたものである。

3  (一)、2、(2)、(イ)の事実は認める。

4  (一)、2、(2)、(ロ)の事実中、いわゆる事前協議協定が成立したことは認めるが、その余は争う。

5  (一)、2、(2)、(ハ)の事実中、富山工場のハードボード工場建設につき、組合の同意を得て行つたことは認めるが、その余は争う。事前協議協定は、合理化計画全てに及ぶものであり、連操問題も当然合理化計画に含まれるから、操業度問題も協議の対象になり、また、協議の意味も同意を意味するものである。前記のように、会社は、組合の同意を得て合理化計画を行つていたのである。

6  (一)、2、(3)、(イ)、(ロ)の事実中、昭和三六年六月被申請会社が組合に対し、佐伯工場の合理化についてその主張のような申し入れをしたこと、組合が休日出勤、早出、残業に関する協定を拒否したこと。昭和三七年一月二一日組合と会社との間に、被申請会社主張の協定(但しその解釈にわたる点を除く)が成立したことは認めるが、その余は不知。

7  (一)、2、(3)、(ハ)、(ニ)の事実は争う。

二九操業協定に定められた期限が、有効期間であることは、本協定成立過程からみて自明の理である。

8  (一)、2、(3)、(ホ)の事実中、昭和三七年三月二日労使間で賃上げ、労働協約改正等の春斗諸要求をめぐつて団体交渉が行われ、三月二七日会社が第一次回答を出し、組合が会社案を不満としていたことは認めるが、その余は否認する。

9  (一)、2、(3)、(ヘ)の事実は認める。

10  (二)、1の事実中、休日指定について、会社が各人の希望を調査したこと、組合が調査に応じないよう指令を発したこと、指令に違反して希望日を申し出た者がいたこと、会社が業務命令で休日を指定したこと、四月二一日以降五月一五日までの間申請人らの組合幹部が、休日の指定された従業員を当日出勤させたことは認めるが、その余は争う。

会社の休日希望日調査は、希望調査というものではなく、会社が既に各人の休日を決定しておいて、それを押しつけるというものであつた。

11  (二)、2、(1)の事実中、申請人が組合員とともに就労行為を行つたことは認めるが、その余は争う。

組合員は、各職場で機械の整備、職場の清掃等に従事していたが、会社は、これら組合員の労務を黙つて受領した。

12  (二)、2、(2)の事実中、五月五日、六日、組合の指令によつて、組合員が出勤しなかつたこと、被申請会社が、会社主張の方法で組合員の出勤をうながし、かつ組合に対し、警告を発したことは認めるが、その余は争う。

なお、ピケツトの点については、組合としては、五日、六日の休日消化にあたり、できるだけ紛争を避けようという態度であつた。したがつて、会社が五月三日組合員に対し、自宅から出勤のために外に出ない人およびピケをしている人に説得されて帰つた者に対しては欠勤扱いすると宣伝し、ピケツト破りを奨励し、組合員間を離間させようとしたので、五日のピケも必要最少限にとどめることにしたのである。そして、ピケラインのことで問題をおこさず、また、斗争から落伍する者も一名をかぞえるのみであつた。

13  (二)、3、4、5の事実中、申請人が組合の幹部であり指導者であることは認めるが、その余は争う。

仮に、被申請人のいうように、本件争議行為が違法であるという前提に立つとしても、申請人が、その責任を負うべき理由はない。すなわち、被申請会社が問題にしている違法行為なるものの主体は、すべて組合であり申請人そのものではないのである。

申請人は、組合幹部であるから、幹部として、組合に対して責任を負うことは当然であるが、そのことは、必然的に使用者に対する責任につながるものではない。したがつて、申請人が、組合幹部であるが故に、被申請会社から、その責任を追及されるいわれはない。

14  (三)の事実中、申請人が中央執行委員長であること、会社が申請人を含む組合の五月二日の就労行動、五月五、六日の不就労行動を理由として、その幹部責任を問うとして申請人を即時解雇したことは認めるが、その余は争う。

申請人の行為は、正当な組合活動であつて、何等懲戒事由に該当するものではない。

第三、被申請人の申請の理由に対する答弁ならびに主張

一  申請の理由に対する答弁

申請の理由のうち、

(一)  「一、当事者関係」ならびに「二、解雇」の各事実はいずれも認める

(二)  「三、解雇の無効」のうち

1 (一)、1、(1)の事実中、申請人が、組合の中心となつて活躍したとの点は不知、その余の事実は認める。

2 (一)、1、(2)、(3)の事実は全部争う。

3 (一)、2、(1)の事実中、昭和三〇年九月二一日付で労働協約に指定休日制度ができたこと、昭和三六年六月二六日被申請会社が組合に対して二九操業を実施したい旨申し入れたこと、佐伯工場の合理化計画が申請人主張のようであつたこと、一日一四〇トン生産の基準人員について合意が成立したこと、一一月九日被申請会社が組合に対し二九操業を実施したい旨申し入れたこと、一一月度の休転日を一一日、一二日、一九日、二〇日と指定したこと、一一月一七日の労使間の交渉で、被申請会社が、労働協約第五四条により、二九操業ができるとして、一二月度から実施したい旨申し入れたこと、昭和三七年一月二一日付で佐伯工場の二九操業に関し、労使間に、協定が成立したことは認めるが、その余の点は争う。

被申請会社は、佐伯工場において、同工場創設以来、就業規則、労働協約等の指定休日制と連続操業について定めた協定に基づき、市場の需給状況に応じて自由に操業度を変更してきたのである。ただ、当時指定休日を消化するための交替要員を充足していなかつたので、組合の協力を得て、労働基準法第三六条の超過勤務協定(いわゆる三六協定)を結んで連続操業を実施してきたが、この超過勤務協定が成立しないために、二九操業が実施できなかつたので、連続操業そのものに関する組合の反対のために、二九操業が実施できなかつたわけではない。

したがつて、被申請会社が指定休日要員を充足していれば、超過勤務協定の必要もなく、協定の指定休日制度ならびに佐伯工場に関する協定書に基づき、自由に操業度を決定できたのである。さらに合理化に関する事前協議協定と佐伯工場の二九操業問題とは全く無関係に締結されたものである。

4 (一)、2、(2)の事実中、佐伯工場における二九操業問題について、スト権を確立したことは否認する。すなわち、スト権を確立したとの点については、第一に、組合が春斗要求原案を一般組合員の討議に付した際、佐伯工場の二九操業の期限到来後その操業形態をどのような形にするかについて討議させた事実もなく、またその意向を集約した事実はないこと、第二に、組合の中央委員会議案書「春斗要求案」中の連操協定のスト権を「協約改定要求のスト権」と修正して、中央委員会に提案したという事実がないこと、第三に、組合側が、佐伯二九問題について、期限到来により、当然二六操業に戻ると解していたならば、あえて、佐伯二九操業問題についてのスト権を集約する必要がないことからみて、スト権が集約されたという事実はない。右春斗要求案の意味するところは、佐伯二九協定期限後、組合の要求する二六操業が入れられない場合に、その時点で改めてスト権を確立するということにすぎない。その余の事実は認める。ただし、この春斗の段階で、組合は、被申請会社に対し、佐伯工場の二九操業を改廃する旨の何らの意思も表明していなかつた。このことは、同年五月二〇日に失効する労働協約についての改定を求めながら、右のように、二九操業問題について何の要求もしていないことになり、結局、組合としては、佐伯工場における二九操業を恒久的なものと考えていたことを意味する。

5 (一)、2、(3)の事実中、昭和三七年春季賃上げ要求があつた後である三月二〇日、会社は組合に対し、佐伯工場の二九操業を同年四月二一日以降も、現行の労働条件で継続することとしたい旨述べたこと、当時、会社が操業形態をどのようにするかは、経営権に属することであり、協約にもとづき四月二一日以降も二九操業を実施しうるとの見解をもつていたこと、そこで、会社が同年五月度の休転日を同年五月二日と指定したこと、ところが、組合は、協定期間満了後は二六操業に戻る旨主張し、会社に対し、五月度は、二六操業を前提とする休転日を指定するよう要求したこと、会社は四月二一日以降も二九操業を実施しうる態度を変えず、前記のように五月二日を五月度の休転日と指定したこと、組合が、昭和三七年五月度の休転日を五月五日、六日、七日、一八日、一九日、二〇日と指定し、その旨会社に通告したこと、同年四月二〇日以降も五月度の休転日につき、労使間で交渉を重ねたが協定が成立しなかつたこと、組合が同月五日、六日を休転日とすることは当然の権利であり、休日消化のため休務するよう組合員に指令し、組合員は右指令に基づき休務したこと、佐伯工場において、会社が指定した五月二日の一斉休日に組合員が就労斗争と称して出勤したこと、その後労使間で佐伯二九操業問題で交渉を行つたが、協定の成立をみず、組合は五月一六日、一七日に全面ストライキを行い、ついで一八日以降無期限ストライキに突入したこと、一方、会社も六月九日佐伯工場においてロツクアウトを通告するに至つたこと、同月一二日、組合が一三日以降のストライキを中止する旨会社に通告したこと、会社が同月一二日付で組合中央執行委員長である申請人を解雇したことはこれを認める。

昭和三七年五月度の休転日を同月五日、六日、一八日、一九日、二〇日ときめたのは中央執行委員会の決議であることおよび同年六月一〇日組合が一三日以降のストライキを中止すると決めたことは不知、その余はすべて否認する。被申請会社は、春斗要求については、組合に対し、現行操業度を前提にするのでなければ回答しえないという態度にでただけである。

6 (二)の事実中、組合の佐伯支部および八代支部に第二組合が結成されたことは認めるが、その余は争う。

組合が分裂し、第二組合が結成されたのは、一般組合員が組合の五月五日、六日両日における無謀な行動、賃上げ斗争において無期限ストに突入するといつた執行部の斗争至上主義に対する批判からである。

7 (三)は争う。

特に、行為の争議性については、組合は五月五日、六日は二六操業に伴う当然の休転日であり、休日消化として一斉不就労したのは、当然の権利である旨主張しながら、反面、それは同時に、会社が組合の主張を認めないことに対する争議行為であると主張するが、これらは二律背反であり本来両立しえないものである。すなわち、組合が、二六操業を行う権利があり、これに見合つた休日を指定し消化しうる限り、そこには争議行為概念は存在しえないのであつて、組合が五月五日、六日を中心とした一連の行為を把えて争議行為性を主張すること自体許されないのである。

(三)  「四、仮処分の必要性」については争う。

申請人は解雇されてから約一年を経過して、はじめて本件申請に及んだのであるから、仮処分を求める緊急の必要性はない。また、申請人は、本件解雇後も、引き続き組合の中央執行委員長に選任され、毎月相当額の給与(会社在職中の基準賃金金二万六、〇〇〇円ぐらいに、委員長手当として月額金一万円ないし金一万五、〇〇〇円ぐらいを加算した額)を受けている。この点からみても、申請人には、本件仮処分を求める経済的必要性はないし、現に組合の執行委員長として組合業務に専念しているのであるから、組合の業務を行えないことを理由とする仮処分の必要性も存しないわけである。

なお、仮りに、申請人が、申請人主張の日に職場に復帰したとすれば、申請人の給料が、一ケ月金三万四、六七〇円で、それが毎月二五日に支払われることは認める。

二  被申請人の主張

本件解雇は、被申請会社就業規則第五六条第五号によりなされたもので、もとより有効なものである。

(一)  本件解雇に至るまでの事情

1 連続操業と指定休日制

被申請会社の佐伯工場では、スフ綿、紙等の原料であるパルプを製造しているが、製品となるまでには、原木の搬入、チツプ(原木の砕片)の釜詰、蒸解から漂白の工程があり、原材料を製品とするまでに一日半ないし二日を要するのである。パルプの製造は、その中間で機械をとめること(以下休転ともいう)も可能であるが、休転した場合には再開に際し、化学処理の時間と温度の不均一等によつて粗悪品ができ易いし、高温ボイラーの考朽化を早めることになる。そこで、全従業員が一日一斉に休むためには、あらかじめ原料の温度を一定に保つとか、パイプに入つている原料を除去するとか、いろいろの前処理を講ずる必要がある。このような配慮をしなければならないので運転再開後、製品ができるまでの損失をも含めると、一日休転するためには事実上、一日半ないし二日分ぐらいの減産を見込まねばならず、そのうえ、品質の不安定ならびに設備への悪影響なども考慮に入れねばならないのである。このように、休転は、種々の損害をもたらすことから、本来なら、年間無休を原則とする操業を行うことが望ましいわけであるが、被申請会社は、市場の需給状況を検討し、休転した場合の損失と、需要を無視して生産した場合の損失とを比較し、一ケ月の操業日数をきめてきたのである。したがつて、月の日曜日の数だけ休転した方がよい場合には、原則として隔週の日曜日の前後二日ないし三日を休転日とし(二六操業という)、月一日だけ休転した方がよい場合には、その休転日一日を月初めに指定し(二九操業という。その他これに準じて二七、二八、三〇操業という)、残りの休日日数(その月の日曜日の数から、休転日数をさしひいた日数)については、業務に支障のないよう各人毎に休日指定をしてきた。つまり、会社は需給状況に応じて、二六操業とか、二八操業、二九操業を制度化し、従業員に対して休日を指定してきたわけである。

2 連続操業と労働協約の関係

(1) 連続操業と労働協約改定の経過

被申請会社が各工場(但し八代工場を除く)における操業日数を、二六操業とするか、あるいは無休操業とするかは、本来会社の経営に関する専権事項であつて、何ら組合と協議する必要もないのである。一方、被申請会社は、昭和三〇年九月二一日締結の労働協約第五五条第一項に「休日は次のとおりとする、但し、第一号の週休日が定休により難い職場については、毎週一日または四週間を通じて四日の割合で毎月始めに休日を指定する。」旨の定め(いわゆる指定休日制)をおき、さらに業務の性質上本社と工場とを分離して、週休日と特定休日に関する規定を設けたのである。そして右指定休日制の採用により、会社が休日指定をなすことによつて操業日数を自由に決定しうることを示している。

昭和三二年九月二一日締結の労働協約からは、その第二項に、「前項の休日を業務の都合により変更する場合は、事前に組合に通知し、意見を徴する。」また、同項覚書第一号に「個人の指定休日は業務の都合により変更することができる」旨、同第二号に、「休日制度を改廃するときは、あらかじめ組合に説明し、意見を徴する。もしこれが所定内労働時間、または基準内賃金に影響を及ぼす場合は、あらかじめ協議する」と規定し、休日制度の改廃により従業員の労働条件とくに労働時間や賃金に影響がある場合にのみ組合と協議するようにしてきたのである。ことに、佐伯工場および富山工場については、昭和三一年一一月一三日組合と別個の連続操業協定を結び、労働協約第五五条および同覚書の規定にかかわらず「週休日および特定休日のうち地方祭と文化の日は操業する。」この場合、「次のとおり操業手当を支給する。」旨定め(労働協約附属協定書第一項および第四項参照)、当該月の休日に休務することなく出勤した日数の多寡により支給額に段階を設け、従業員の労働条件を明示したのである。(昭和三一年一〇月度以前においては、連続操業に関する定めがなかつたので、二八、二九、三〇の連続操業を行う場合には、その都度、期間を定めて労働条件に関する協定を締結して実施していた。)そして、この規定は、その後昭和三二年支給額に若干の修正が加えられたが、組合から何ら異議のないまま踏襲せられ(昭和三一年九月二一日付労働協約第五五条、昭和三二年九月二一日付労働協約第五五条、昭和三四年三月二一日付労働協約第五四条、昭和三五年三月二一日付労働協約第五四条参照)、昭和三六年三月二一日付労働協約第五四条に至つている。結局、労働協約上も、従業員の労働条件に影響を及ぼさない限り、会社はあらかじめ組合に説明し、その意見を徴したうえで、自由に操業度を変更しうることを、より明確にしたものである。

このことは、佐伯工場における過去の操業実績をみれば、一層明らかである。すなわち、佐伯工場においては、その業務の繁閑に応じ、昭和三〇年九月二一日以降同三一年五月度までは二九操業を、同三一年六月度以降同三二年一二月度までは三〇操業を、昭和三三年一月度以降同三四年三月度までは二八操業を、同三四年四月度以降同年六月度までは二六操業を、同三四年七月度以降同三五年二月度までは二八操業を、同三五年三月度以降同三七年一月度までは二六操業を各々実施してきたのであつて、その間組合は、会社に対し一度も異議を述べたことはなかつた。しかも当時被申請会社は指定休日要員を充足していなかつたので、組合の協力を得て、従業員の休日出勤、早出残業、連勤等の超過勤務を行うことにより、指定休日要員をおくことなく、二八、二九、三〇各操業を実施してきたのである。

(2) 被申請会社の合理化計画と事前協議協定について

(イ) 昭和三二年下期ごろから、会社は赤字の累積に悩み、赤字解消にその全精力を傾けたが、景気は好転しなかつたので、昭和三五年六月ごろ、経営陣交替のうえ、会社再建の衝にあたることとなり、その方針として、(イ)会社の既存設備について徹底的に合理化を行うこと、(ロ)新規事業を開発することを決定し、ついで昭和三六年に至り、既存部門の合理化として、佐伯工場において集中的にパルプの生産を行い、市況により操短の必要を生じたときは富山工場で調整すること、新規事業として、富山工場においてハードボードを、八代工場においてセロフアンを、佐伯工場においてイーストを各製造することを定めた。そして、昭和三六年六月二六日組合に対し、右計画を説明するとともに、強く協力を要請したのである。

(ロ) これに対し、組合は、右合理化計画が労働条件に影響を及ぼすことをおそれ、合理化ならびに新規事業の開発にあたつては、事前に組合の同意を得た後に実施して欲しい旨要望したが、会社は、合理化を実施するにあたつて、組合員の労働条件を切下げたり、新規開発事業を理由に人員整理を行わない旨説明してその協力を求めた。そして交渉の結果、組合も譲歩して、昭和三六年七月一七日付をもつて、「合理化諸計画(新規開発事業を含む)については、労働条件の低下をきたさない内容をもつて、予め労使間において誠意をもつて協議する」旨の協定(いわゆる事前協議協定)が成立したのである。

(ハ) 右にいう協議の対象事項は、合理化計画に伴う労働条件の低下の問題、すなわち労働条件についてであつて、合理化計画そのものではない。したがつて、これを後述の佐伯工場における日産一四〇トン問題、二九操業問題についていえば、前者のみその対象となり、後者は協議の対象にならないことは明らかである。また、右協議の意味は、同意を意味するものではない。このことは、労働協約ないしは、各種協定の用語例に徴しても明らかであり、組合側もこれを了解していたのである。このことは、労働協約において「話合う」とか「協議する」とか「協議決定」という語句が使用されており、右事前協議協定にいう協議が、組合の同意を意味しないことは明らかである。もつとも、右協定成立後、富山工場におけるハードボード工場建設につき、組合の同意を得て行つたことがあるが、これは、組合との摩擦を避け、会社再建のために組合の協力が必要であるとの観点から譲歩したにすぎないのである。

(3) 佐伯工場における二九操業協定成立の経過および協定をめぐる交渉について

(イ) 被申請会社は、前記合理化計画の一環として、組合佐伯支部に対し、昭和三六年一一月度以降佐伯工場が採用している二六操業を二九操業に改めたいこと、一日一三〇トンを一日一四〇トン生産にすることを申し入れた。しかし、組合は、右申し入れに協力せず、三六協定を締結しなかつたので、会社において、二九操業を実施するにつき、従業員の休日出勤、早出、残業等によつて、これを実施することは不可能であつた。会社としては、会社の権限で、操業度を変更できるものと考えていたが、これを強行することは将来の労使関係に大きな禍根を残すと考えて、実施をしなかつた。

(ロ) その後も、右二九操業をめぐる交渉過程において、組合および佐伯支部は、被申請会社が日産一四〇トン、二九操業制度切り換えのため提案した基準人員は不足しており、到底実施しえない旨主張して譲らなかつた。そこで、会社は、右計画を予定の期日から実施するため、また事態を円満に解決するためにも職場配員について大巾に組合の要望を入れ、当初、会社が提案していた交替運転部門の新基準人員二八〇名(旧基準人員は二九五名)を、旧基準人員を上廻る三〇三名に増加する旨再提案し、同年一〇月二七日新基準人員につき意見の一致をみるに至つた。そうして、その後引続き指定休日要員をどの程度確保するかについて話合いが行われ、これに付随して職場環境の改善、補助部門の定員化などの諸事項について話合い、大体意見の一致をみていたのである。

しかるに、組合は、会社が殆んど組合の要望を入れたにもかかわらず、従来全く話合いに上らなかつた労働協約第五四条に定められた指定休日制度を一斉休日制度にせよといつた要求をし、事態を紛糾させたので、会社は、一日も早く事態を処理するため、一時金を支給したり、賃金の一部を増額したりなどして、昭和三七年一月二一日、労使間に、佐伯工場月一日休転操業に関する協定が成立した。その主な内容とするところは、(a)毎月原則として一〇日に翌月度の休転日を決定する、休転日は原則として日曜日に設定することとし、あらかじめ事業場と支部組合で協議する。(b)指定休日は、操業に支障のない限り、本人の意思を尊重して、月初めに指定する。(c)交替要員の算出方法。(d)月一日休転操業に伴う職場環境改善については、事業場と支部組合で協議する。(e)不足人員は社員をもつて補充する。(f)実施時期は人員補充の完了後とする。(g)本協定は昭和三七年四月二〇日までとする等である。

(ハ) そして右協定書に期間の定めがあるのは、二九操業の実施により、二六操業当時と比較して労働条件が一応低下しないとの合意に達したが、さらにこれを実施に移したうえ、労働条件について検討し、もし、労働条件の低下をもたらすような現象があれば、右期限の到来時に再び協議しようという意味のものであつて、期限が到来したから、すでに実施してきた二九操業制度を、二六操業制度に改変するといつた趣旨のものではないのである。このことは、組合においても、十分熟知していたのであり、二九操業の実施に伴い、会社が指定休日要員として約三〇名の従業員を、新たに採用している事実によつて明白である。これより先、昭和三七年九月ごろ、佐伯工場の新規開発事業としてイースト核酸工場が新設され、その月産量について協定が成立し、同時に臨時労務員の新規採用の措置がとられたが、これも右の趣旨を前提になされたものである。

(ニ) かりに、前記協定の期限が有効期間であるとしても、組合側は、一方的に二六操業に戻しうるものではない。すなわち、会社が、事前協議協定の義務に従つて事前協議をなし、その協議が成立すれば、その実施の結果、労働条件が低下したとしても、それは別個の問題であつて、協議の対象にはならないことになる。また、事前協議協定に基づき、協議が成立すれば、その事項について、会社は将来にわたつて協議の義務を免れるから、会社が二九操業制度を変更しない限り、二九操業協定期限の到来後も、依然として、二九操業を採用しうるのである。のみならず、二九操業から当然二六操業に戻る趣旨であるとするならば、二九操業実施に伴い新たに採用した従業員は、これを解雇しなければならないことになるし、たとえ、解雇しないとしても、二六操業に移行するためには、これら従業員の措置について、労使双方とも慎重に検討する必要があつた筈である。しかるに、組合は、これらの点に一切考慮をはらつていないことからも、前記趣旨、すなわち有効期間でないことは明らかである。

(ホ) 昭和三七年春斗(協約改正を含む)に関する同年三月二〇日団体交渉において、被申請会社は、組合に対し、佐伯工場の二九操業に関する方針を明らかにし、その労働条件については労働協約の改正にともなつて、修正さるべき点があれば修正すること、また交渉が四月二一日以降に及ぶときは、その間は従前の協定書の労働条件を適用し、協約ならびに操業に関する協定の改正締結の時点において遡及して修正適用する旨を申し入れたのである。これに対し、組合も被申請会社提案を当然のこととして何ら反対の意向を述べたり、特定の労働条件の要求を提出することもなく、また二九操業継続反対に関するスト権の集約をすることもなかつたのである。

当時、労使間においては、組合の賃上げ、労働協約改正等一連の春斗要求について、団体交渉が行われており、昭和三七年三月二七日、被申請会社は、賃金回答と同時に、労働協約改正等に関する会社案を提示し、協議を進めようとしたが、組合は、会社案を不満として交渉は進展しなかつた。

(ヘ) この間佐伯工場において、被申請会社は、労働協約第五四条、同附属協定書に基づき、五月度の操業に当つては、五月二日を休転日とする旨の意向を組合佐伯支部に示し、五月二日を休転日とするかどうか協議したい旨申し入れた。しかるに、右組合支部は、佐伯工場の二九操業に関する協定は、昭和三七年四月二〇日期限満了となり、それ以降は失効するのであるから再協定を締結しない限り五月度以降の操業は、当然以前の二六操業制度にもどるから、二六操業を前提とする休転日を設定せよと主張し、会社の協議申し入れに応じなかつた。四月一三日被申請会社は、やむなく佐伯工場の五月度の休転日を、特定休日を除き五月二日とする旨組合佐伯支部に通告した。

これに対し、組合佐伯支部は、支部斗争委員長寺島孝三名義をもつて、会社に「支部組合は、五月五日、六日、一八日、一九日、二〇日の五日間を休日として一斉休務する」旨通告してきた。四月一八日、被申請会社は、改めて支部組合に対し、「五月度の休転日は五月二日とする。各人の休日指定は希望日の申し出のない場合は、業務命令をもつて行う」旨通告するとともに、同日付文書をもつて、<1>四月二一日以降も二九操業を継続したいこと、<2>これは労働協約に基づいて実施すること、<3>労働条件については協議の上早期解決したいこと、などの申し入れを行い、翌四月一九日には、更に詳細な会社見解をそえて、再度二九操業継続の意思を明らかにしたのである。これに対し組合は、前記のような態度をかえなかつた。

(二)  組合佐伯支部の会社に対する違法行為、すなわち業務妨害行為と申請人の責任

1 四月二一日以降における組合の違法行為の概況

会社は、前記のように、五月度の操業に当り、組合がほしいままにこの制度を変更し、五月五日、六日、一八日、一九日、二〇日を休日とする態度について「組合が休日を設定することは自己の主張を直接強制する違法な争議行為であること」、「一方的な行動を避け、双方の協議により早期解決を計りたいこと」を申し入れ、一方では休日指定について、組合員各自の希望を調査したのであるが、組合は不当にもその所属組合員に対して、右調査に応じないよう指令を発し、実力をもつて会社の業務を妨害するの挙に出た。そこで、会社は、組合支部に対し、違法な争議行為を強行したときは、その責任を追及し、損害賠償を請求する権利を留保することを通告した。もつとも、一部組合員は、右組合の指令は違法であるという考えから、被申請会社に対し、希望日を申し出たので、会社はこれに基づき各人に業務命令をもつて休日を指定した。申請人は、四月二一日以降五月一五日に至る間、支部組合幹部に指令し、若しくは彼らとともに連日にわたり、当月休日に指定された従業員をかり出し、工場に入構させ、各職場に赴かしめ、率先して各職場の長に対し就労を強要して業務を妨害した。また職場の長は、申請人を初め、支部組合幹部に対し就労を拒否し、職場外に退去せよとの業務命令を発したが、彼らはこれを無視し、従業員を各職場内休憩室などにたむろさせ、会社の業務を妨害した。

2 違法行為の具体的内容

(1) 五月二日における職場内強行侵入

五月二日は、被申請会社が決定した休転日であり、大部分の従業員は、当日休日に指定されていたが、申請人は、組合佐伯支部幹部をして右会社の決定を無視せしめ、同支部幹部は計画的に出勤日と称して従業員をかり集め、他支部からのオルグとともに、集団的に各職場へ侵入し、各職場の長に労務の受領を強要した。各職場の長は、本日は、休転日であり当直以外のものは休日として指定してあるので休務すべき旨を指示し、職場外へ退去するよう命令したが、申請人の指示を受けた右組合支部幹部はこれに応ぜず、みだりに各職場をはいかいし、会社に対して運転開始を要求し、また従業員に対しては、これを各職場内に待機せしめる等の違法行為を重ね会社の業務を妨害した。

(2) 五月五日、六日の休日設定

五月五日、六日は、会社の通常操業日であるが、申請人は、会社の前記二九操業制度を変更、破壊する目的をもつて、組合佐伯支部幹部らをして従業員に対し、右両日を休転日であると教宣させ、勝手に右両日を休日とする旨宣言し、従業員に対し両日は休務すべき旨指令した。

被申請会社は、申請人の指示および右組合佐伯支部の指令は、違法不当であるとの立場から、あらかじめ交替職場の従業員に対し、当日は会社が休日として指定した者以外は通常どおり出勤すべき旨の業務命令を発し、口頭、掲示、電報等を併用して徹底させる一方、組合佐伯支部に対しては、文書をもつて「組合がこの業務命令を拒否するような指令を発し、これを実行させた場合は、損害賠償の請求ならびに組合幹部の責任を追及する用意がある」旨警告を発した。他方、会社は、事態を円満に解決し、このような違法不当な行為を回避させるべく、組合および佐伯支部に対処してきたのである。しかるに、組合は、佐伯工場における五月五日、六日の不就労を確実に実行し、組合員の統一行動に対する足並の乱れを防止するため、五月四日後夜勤(五月四日午後一一時三〇分から五月五日午前七時三〇分までの勤務)の時限ストを決行したのである。このような組合の態度にもかかわらず、被申請会社は、右時限ストが終了する五日午前七時三〇分までの間、つまり組合がストライキによらない労務提供の拒否という違法不当な実力を行使する前に、なんとか事態を解決したいものと考え、本社本間勤労課長をして「佐伯工場長と組合委員長の二者会談を行い、不法行為を避けるための話合いを行つてもらいたい」旨提案させたのであるが、組合の拒否に会つて実現せず、その後の交渉も進展しなかつた。そして組合は、全く被申請会社の提案を聞き入れず、午前七時三〇分から正門その他通勤途上の道路上にピケを張り、業務命令により出勤せんとする従業員を実力をもつて阻止し、違法、不当な実力を行使するに至つたのである。しかし、会社は、あくまで事態の円満解決を図るべく、再三再四にわたり、申請人と佐伯工場長の二者会談をもつよう申し入れ、その結果、五日午後一時ごろ、ようやく会社の希望する二者会談が開かれた。その際、会社側の佐伯工場長は「賃上げの具体的内容については、本社が最終的権限をもつているのだから、自分としては具体的内容について回答することはできない。しかし会社が再考慮するといつているのだから、それを信じて、直ちに違法不当な実力行使を中止し、組合員を就労させたうえ、本社において交渉をもつて欲しい」旨主張し、労使関係を正常化し、軌道に乗せるよう説得したが、妥結にいたらなかつた。しかし、佐伯工場長は、重ねて交渉をすすめ、本社と電話連絡をしたうえで申請人に対し、「今直ちに組合が、違法、不当な休日設定という実力行使を中止して、組合員である従業員を就労させるならば、<1>賃上げに関する修正案と操業手当の改正を提示する用意がある、<2>本日(五月五日)現在までの不法な行為について組合幹部の責任はこれを追及しない、<3>組合に対しても会社が受けた損害につき、その賠償を請求するようなことはしないから直ちに平常業務につかれたい」旨述べたうえ、組合本部二役は直ちに上京し、本社で話合うよう提案したのである。しかし、申請人は、何れの要望もいれることなく、五日、六日を予定どおり実力をもつて休日を設定し、これを実行することにより工場の操業を不可能ならしめ、会社の二九操業制度を破壊するに至つたのである。

3 仮りに、右五月五日、六日を中心とした一連の行為が、争議行為であるとしても、組合大会におけるスト権の集約がなく、組合の意思決定のないまま、申請人ら一部の幹部がその地位を濫用して行つたものであるから、団体意思形成のない行為となり、結局、その成立要件を欠く違法なものといわざるをえない。同時に、それについて、会社にスト通告もなく、その争議行為であることの明示もないのであるから、この点からも内的要件を欠く違法なものというべきである。

4 さらに、仮りに、右一連の行為が争議行為としてその成立要件を満すとしても、権利争議であり、また自己目的達成を目的とする直接強制行為であつて許されない。

すなわち、本件一連の行為は、組合の権利として休日を設定し、組合員を休務せしめたものであつて、組合員の権利内容の自力による実現、いいかえれば権利争議における自力救済であつて、争議行為ではない。権利争議の解決は、国家機関である裁判所の権限に属するものであることはいうまでもない。また、本来争議行為は、一定の要求目的を貫徹するための間接強制の手段たるに過ぎないから、組合が休日の変更を要求し、これがための争議行為(利益争議)を別途に起すなら格別、直接自力をもつて自らの主張を実現強制することは許さるべきではない。

5 違法行為による責任について

右にみたように、組合および佐伯支部の行動が、勝手に休日を設定し、これを実施するなどして、佐伯工場における二九操業を困難ならしめ、あるいは、会社の二九操業に伴う指定休日制度それ自体を破壊することを目的としたことは明らかである。しかも、かかる行為が、違法不当であることは、それが自己目的を達成するための直接強制であるという点においても、これを明瞭に看取し得るのである。そうして、申請人は、四月二九日以降五月六日に至る間、佐伯工場にとどまり、前記違法不当な業務妨害行為を自ら指導実行せしめたものであつて、この意味で、指導者すなわち幹部としての責任があることはいうまでもない。

(三) 申請人に対する解雇処分について

申請人は、興人労組中央執行委員長として、前記(二)に述べた違法不当な行為を企画し指導したばかりでなく、自ら直接その実行に関与したものである。

したがつて、右違法、不当な行為について、指導者としての責任を負わなければならない。このような申請人の行為は、会社就業規則第七八条第四号、第五六条第四号に該当し、本来ならば懲戒解雇に処しても当然なのであるが、会社は申請人の将来その他諸般の事情を考慮した結果、就業規則第五六条第五号を適用して即時解雇したものであつて、会社の申請人に対する解雇は正当である。

第四、疏明関係<省略>

理由

一、争いのない事実

被申請会社がパルプ、紙、化繊等の製造ならびに販売を主たる業務とする会社であること、本社を東京都港区に置き、支店を大阪市に、佐伯市、富山市、八代市ならびに吉原市に工場を有し、佐伯工場、富山工場においては、主としてパルプを、八代工場においては化繊を、富士工場においては紙を各生産していること、申請人が、昭和二五年一〇月一〇日、被申請会社八代工場に臨時工として雇われ、同二六年一月一日社員に登格し、同工場原液課に勤務したこと、同三四年三月二一日紙パ労連傘下の興国人絹パルプ労働組合中央執行委員長となり、昭和三七年六月一二日当時会社の従業員であると同時に右組合の役職にあつたこと、会社が、右同日付をもつて、会社就業規則第五六条第五号により即時解雇する旨の意思表示をなしたこと、右解雇の理由が、申請人を含む組合および組合佐伯支部が、同年五月二日会社設定の休転日に就労行動を行つたことならびに同月五日、六日に不就労行動を行つたことを理由とし、その指導者としての責任を追及していることは当事者間に争いがない。

二、本件解雇に至るまでの事情

本件において、当事者双方が、解雇に至るまでの事情として、その主張するところは、要するに右申請人を含む組合の行動が、その目的、手段等において、正当であるか、否かであつて、特にいわゆる事前協議協定ないしは佐伯二九操業協定の解釈をめぐり、昭和三七年四月二一日以降その操業度が二六操業となるのか、あるいは二九操業となるのか、更にこの問題を前提として、組合が二六操業を主張ないし要求することが正当であるか否かの問題に帰着すると考えられるので、まず、この点について検討する。

(一)  連続操業形態と指定休日制

被申請会社は、操業度の決定は、専ら会社の専権事項であることならびに労働協約上の指定休日制によつても右操業度の決定は自由である旨主張し、申請人においてこれを争うのでまずこの点について判断する。

成立に争いのない疏乙第一号証の一ないし四、同第一号証の五のイ、ロ、同第一号証の六、同第一〇一号証、同第一〇七号証、同第一〇九号証および同第一一二号証、右疏乙第一〇一号証により成立の認められる疏乙第四号証の一、二、証人近藤止文および同長嶺正次の各証言ならびに弁論の全趣旨を総合すれば、会社の佐伯工場は、パルプ製造工場であるが、工場で生産するパルプが製品となるまでには、原木の搬入、チツプの釜詰め、蒸解から漂白までの工程があるため、その中間で機械を止めると工場の再開に際し、化学処理の時間と温度の不均一等によつて粗悪品ができ易く、機械の老朽化を早めることになること、そこで、一日工場を休むためには、予じめ原料の温度を一定に保つとか、パイプに入つている原料を除去するなどの配慮が必要であること、このため、運転再開後、製品ができるまでの損失を考えると、一日休転するには、事実上一日半ないし二日分の減産を見込まねばならないこと、そこで会社としては、パルプ生産に当り、できる限り連続操業形態をとり、機械の運転を止めないことが好ましいこと、しかし、一面、市場の需給関係をみると、必ずしも連続操業が好ましいとも思われないので、会社として、最も効果的な生産活動を維持していくには、休転による減産もしくは、それによる損失と市場における需給関係とを比較検討のうえ、当該月の操業日数を決定する必要があること、これを会社佐伯工場についてみるに、右連続操業日数の決定実施については、昭和二九年以降その都度会社と組合支部との間で協定を締結し、それによつて定まつた操業度を実施してきた慣行があつたこと(但し、この点については当事者間に争いがない)、右連続操業に伴う休日の消化については、昭和二四年六月一日締結の労働協約中に、「週休日は日曜日とする」旨の定めのあつたのを、昭和二五年一〇月締結の労働協約によつて「休日は週休日とする」旨改訂し、次いで、昭和三〇年九月締結の労働協約(疏乙第六号証の一)第五五条において、休日に関する定めとして、「休日を週休日および特定休日(年末年始等)の二種とし、週休日を定休により難い職場については、毎週一日または四週間を通じて四日間の割合で毎月初めに指定する」旨のいわゆる指定休日制が採用され、これに従つて休日を消化したこと(但し、この点については当事者間に争いがない)、さらに昭和三一年一一月一三日締結された労働協約第五五条附属協定書(疏乙第一号証の五のロ)において、佐伯工場および富士工場については、「週休日および特定休日のうち地方祭と文化の日は操業する」旨を定めるとともに、操業手当支給額算出の具体的方法として一ケ月間に週休日、特定休日に何日出勤したかによつて一定額の操業手当を支給する旨の統一的条項を定めたこと(但し、この点については当事者間に争いがない)後記昭和三六年中に行われた会社の合理化諸計画に伴う佐伯二九操業問題が発生するまでは、組合もこれに対し特に異議を唱えたことはなかつたこと(但し、この点については当事者間に争いがない)、しかし、他面、佐伯工場において、連続操業を実施する場合、製造部門に人員の不足を生じ、これを別途に補充する場合を除いては、従業員が労働基準法に定める労働時間を超える勤務、すなわち超過勤務あるいは休日出勤する等して就業することが必要であり、組合との間に労働基準法第三六条に定める時間外勤務協定(以下単に三六協定という)締結の要があつたこと、同工場においては、後記合理化諸計画の実施に至るまでは、人員すなわち交替要員補充の方途が講ぜられなかつたこと、

が認められ、他に右認定を左右するに足りる疏明はない。

ところで、パルプ産業において、当該企業が、いかなる組織、機構ないしは生産体制に基づいて企業を運営して行くかは、本来、企業経営の本質に関することであり、したがつてそれらをいかに定めるかは企業そのものによつて決定されるべき性格のものであると解するのが相当であり、一方、右認定の事実によれば、会社においては、パルプ市場における需給関係と工場の休転に伴う減産量ないしはその損失との比較をも勘案のうえ当該月の操業度を決定していたことが認められるから、結局、操業度問題は、本質的にも、また実施面においても、企業運営の基礎をなし、企業経営の方針に直接かつ密接な関連をもつ事項といわなければならない。したがつて、会社が、その企業を運営して行く限り、操業日数の決定は、直接的には企業経営者の判断によつて決定されるものと解するのが相当である。もつとも、操業度問題が、必然的に労働者の労働条件に直接、間接に影響を及ぼすものである以上、労働基本権の侵害あるいは労働基準法その他の法もしくは労働協約に抵触しないように決定されるべきは当然のことといわなければならない。同時に、労働者側からすれば、企業経営者の決定した操業度の消化が、当該労働条件で納得できないものであるとすれば、右のように連続操業が労働条件と密接な関連をもつ以上、操業度そのものに反対し、争議の対象とすることのできることも明らかである。

次に、労働協約上の休日消化の方法についてみるに、前記のように、昭和三〇年九月締結の労働協約第五五条では、一定の連続操業のもとにおいて、会社が当該月初めに休日を指定する、いわゆる指定休日制による休日の定め方を協定していること、および前記附属協定書の内容が、一ケ月間の週休日、特定休日に何日出勤したかによつて一定額の操業手当を支給する旨定めていることを考えると、右労働協約ならびに附属協定書が、いずれも、それ自体、連続操業の決定権が会社にある旨定めたものではないにしても、右協約および協定書が、高度の連続操業の実施を予定し、これを前提に締結されたものと解することができ、昭和三二年一月二一日付組合機関紙「興人」(成立に争いのない疏乙第八一号証)の記載内容、その他前認定のように、右附属協定書成立後、会社が任意連続操業を決定実施してきた事実に徴すれば、組合としても、附属協定書の意義を右のように了解していたことも十分窺われるのである。もつとも、前記認定の事実によれば、佐伯工場においては、後記合理化計画にいたるまで、連続操業に伴う交替要員の補充がなされなかつたことが認められるから、三六協定が締結されない限り、事実上、人員補充の面で制約があつたとみることができる。

右判断してきたところを総合すれば、会社は、企業を運営するに当り、法および労働協約に反しない限度において操業日数を自由に決定することのできる固有の権限を有し、また、前記労働協約および附属協定書の成立によつて、操業日数の決定実施についての労働協約上の制約もなく、したがつて佐伯工場二九操業を実施するについても、後記事前協議協定の成立にいたるまでは、事実上の制約である交替要員を補充し、労働時間の問題を解決すれば、何ら組合と協議を経ることなく一方的に、自由にその権限を行使することができるというべきである。

(二)  合理化計画と事前協議協定

1  昭和三六年二月ごろ、会社が再建のための合理化諸計画を発表し、組合に協力を求めたこと、右計画が既存部門の合理化ならびに新規事業の開発をその骨子とするものであること、就中、佐伯工場においては、パルプ日産量を一三〇トンから一四〇トンに引き上げること、および同年一一月度以降の操業度を二九操業とすること(従来の操業度は二六操業である)をその内容とした集中生産体制の確立にあつたこと、同年七月一七日、会社主張のような内容(ただし、解釈にわたる部分を除く)を有する事前協議協定が成立したことは、当事者間に争いがない。

成立に争いのない疏甲第二号証、疏乙第八号証、同第九四号証の四、同第一〇二号証、同第一一二号証、証人長嶺正次の証言により成立の認められる疏乙第九三号証、証人田村志朗の証言(第一回)ならびに申請人本人尋問の結果を総合すると(但し、各疏明につき、いずれも後記信用しない部分を除く)前記のように、会社が合理化諸計画を発表し、組合にその協力を求めた際、組合としては、合理化計画のために労働条件が低下する等労働条件に対する影響を危惧し、合理化諸計画(新規開発事業を含む)については、事前に組合と協議が整わない限り、実行しないとの協定の成立を求め、その旨会社に要求したこと、会社は、右要求に対し、合理化諸計画の内容は従来どおり、労使協議会(中央、事業場)で説明し、新規開発事業の計画については、その都度組合に説明する旨主張したこと、その後、労使双方が交渉を重ねた結果、確認書(全般事項)(疏甲第二号証、疏乙第七号証)と題し、「合理化諸計画(新規開発事業を含む)については、労働条件の低下をきたさない内容をもつて予め、労使間において誠意をもつて協議する」との表現をとることに合意をみたこと、組合は、このことを当時の「中斗ニユース」No.一五八において、組合の譲歩と解されるような教宣を行つていることが認められ、他に右認定を左右するに足りる疏明はない。

2  右事前協議協定にいう合理化諸計画の内容として、連続操業問題、すなわち佐伯二九操業の実施をその内容としているか否かについては、前記争いのない事実によつて明らかな合理化諸計画の成立経過に照らし、当然その内容としていたと解するが相当である。そして、このことは、一面において、(その限度はともかくとして)会社が前記の如く自由に決定実施しうる操業度について「協議」の対象とすることによつて自らの自由を拘束するにいたらしめたものということができる。

次に、右協定にいう協議の意味が、組合の同意を要件とする趣旨であるか否かについて検討するに、右文言自体から直ちに組合の同意を意味すると解することが困難であるばかりか、かえつて、右文言自体が「誠意をもつて協議する」ことのみを明らかにしているにとどまり、協議の不成立の場合について何らふれる点がないのみならず、前認定の協定書成立の経緯をみても、右協定書にいう協議の意味するところは、合理化諸計画に先立ち、会社が、組合と協議することを義務づけたにとどまり、協議が整わない場合において、当該計画の実施を放棄すべきことまでを定めたものでないと解するのが相当である。以上の認定に反する疏乙第九三号証、同第一〇二号証、同第一一三号証の各記載部分ならびに証人近藤止文、同田村志朗(第一ないし第三回)の各証言ならびに申請人本人尋問の結果の各供述部分は、いずれもにわかに信用することができないし、他に右認定をくつがえすに足りる疏明はない。もつとも、右協定成立後、合理化諸計画の一環として行われた富山工場におけるハードボード工場建設にあたり、組合の同意を得た上で実行に移したことは当事者間に争いがないが、弁論の全趣旨によれば、右は、会社が、合理化計画を円滑に運ぶために、できうる限り組合との無用な摩擦を回避しようとする考えからなされたものと認められるから、右事実をもつて、申請人主張の同意を義務づけたものと論断するのは早計である。また、会社が、佐伯工場において、昭和三六年一一月度から二九操業を実施したい旨組合に申し入れたが、組合の反対にあつて実施できなかつたことは当事者間に争いがないが、前認定のように、当時は人員補充(交替要員)が十分でなかつたこと、ならびに弁論の全趣旨によれば、右のように会社が組合との無用の摩擦をさけるために実施しなかつたことが認められるから、右協定にいう協議の意味が同意であることを裏付けるものと解することは困難である。したがつて、右各事実は、前記認定に消長をきたすものではない。

以上認定してきたことを総合すると、結局、連続操業問題について、会社は、誠意をもつて組合と協議することを義務づけられたものというべく、一方的に操業度を決定しこれを強行実施するような態度は、右協定の精神に反するものといえよう。

(三)  佐伯二九操業協定

そこで、次に佐伯二九操業協定について検討する。

昭和三七年一月二一日付で、会社主張のような内容(但し解釈の点については除く)を有する佐伯工場月一日休転操業に関する協定(いわゆる二九操業協定。疏甲第四号証の一ないし三、疏乙第一〇号証の一ないし四)が成立したことは、当事者間に争いがない。

右協定書(疏甲第四号証の一、疏乙第一〇号証の一)第一〇項には、「本協定書は、昭和三七年四月二〇日までとする」旨の記載がなされているところ、会社は、右は、二九操業に伴う労働条件の低下の有無を調査するための期間であつて、右期間経過後においても、二九操業を継続して実施することは当然の前提として承認されていたものである旨主張し、一方、申請人は、右は二九操業の実施期限を定めたものである旨主張するので、以下、この点について検討する。

成立に争いのない疏甲第三号証、同第九号証、疏乙第四四号証の一ないし五、同第四八号証、同第一一三号証、同第一一四号証、同第一一五号証、同第一一七ないし第一一九号証、証人田村志朗の証言(第一ないし第三回)によつて成立の認められる疏甲第一二号証、同第二八号証、同第三一号証、同第三三号証、証人田村志朗の証言(第一ないし第三回)ならびに申請人本人尋問の結果(但し、いずれも後記信用しない記載部分または供述部分を除く)を総合すれば、前記会社の合理化諸計画に伴う佐伯工場の日産量の引き上げ問題、二九操業問題については、労使双方で協議を重ねた結果、昭和三六年一〇月ごろ、ほぼ了解点に達し、一たんは、佐伯工場における現地交渉の過程で、右了解事項を成文化する試みまでなされ、同月二〇日付で、「パルプ一四〇t/d=二九日操業に関する配員交渉結果に関する確認」と題する文案が作成されたこと、右文案においては、実施時期を昭和三六年一一月一日とする旨定めてあるだけで、期限の点については何らふれることもなく、また特に取り上げて問題とされなかつたこと、その後、組合本部において、検討の結果、一四〇トンの定義、二九操業の定義、協定期間の問題、交替要員の算出方法その他の問題についてなお交渉し、明確化する必要があるとして、会社に協議の継続を申し入れたこと、その後、佐伯工場における日産量引き上げの問題と操業度問題と切り離され、前者については、同月二七日労使間に合意が成立し、確認書(疏甲第三号証)を作成したこと、一方、操業度問題につき、組合としては、その実施期間を明らかにする必要があるとして、対内的にはその旨の教宣活動を強化し、右期限を昭和三七年三月三〇日までとする旨の態度を打ち出し、会社に対し、この要求を行つたこと、他方、会社としても、右協定の期限を労働協約の有効期間と一致せしめる考えを持つていたところから、その案として、まず、「協定の有効期間は、労働協約の有効期間と同じゆうする」旨の提案を行い、次いで、これを同年五月二〇日までとする旨に改めたこと、その後、労使双方が、主としてこの期間の問題をめぐつて協議を重ねたが、同年二月二日に至つて、結局、双方が譲歩し、その中間である同年四月二〇日までとすることに合意が成立したこと、その結果、協定成立日を同年一月二一日に遡らせたうえで、前記協定書を作成し、その期限については、前記第一〇項記載のような表現がとられたこと、この間、会社は、常に連操問題が会社の専権事項であり、労働協約第五四条の解釈によつて、自由に決定しうるものであることを主張していたこと、そして右協定成立後、佐伯工場においては、人員補充とあいまつて二九操業を実施してきたこと、

が認められ、他に右認定を左右するに足りる疏明はない。

次に、右協定書の内容について検討するに、右協定書の記載(疏甲第四号証の一、疏乙第一〇号証の一)によれば、「佐伯工場月一日休転操業に関し、次のとおり協定する」と題した後、一一項目にわたつて協定事項が列記され、その内容は、要するに、当該月の休転日の決定ないしは指定休日の指定方法、月一日休転操業を行う場合の交替制職場の人員算出方法、その他各職場の人員の補充ないしは配置人員の決定に関する方法を定めており、その実施期間は、人員補充の完了後とするとし、第一〇項目において「本協定は、昭和三七年四月二〇日までとする」と定め、右協定の細部事項については、事業場と支部組合の協議に委ねていることが明らかである。

右認定の協定書の内容によれば、協定書の記載のなかに、明文をもつて佐伯工場における二九操業の実施自体を定める旨の文言がないばかりか、期限についても、単に昭和三七年四月二〇日までとする旨の記載にとどまり、その他の項目も、労働条件に関するものであるため、二九操業を前提とし、その労働条件のみについての協定であるかのような趣旨に解されないこともないが、反面、連続操業問題が、労働条件、ことに労働時間、人員補充等の変化と切り離して論ずることのできないことは、前認定の事実から明らかであり、また、右協定書の成立経緯、ことに、会社が連操問題は、会社の専権事項であるとし、しかも前認定のように、佐伯二九操業問題が赤字解消に悩む会社にとつて重大な再建計画の一環であるとしながら、なお期限の問題で合意に達するまでその実施をみなかつた点を考えると、右協定は単に二九操業下における労働条件の問題のみを対象としたものではなく、協定成立時に確認協定された労働条件に従つて、二九操業を実施すること自体を定めたものと解するのが相当である。また、前認定の協定の成立経過、その内容によれば、右協定に定める期間は、明らかに二九操業そのものの実施期間を定めたものと解することができ、会社が主張するように、単に労働条件の低下の有無を調査する期間にすぎないというのは当らないといわなければならない。

右のように、実施期間と考えていたからこそ、期間をめぐつて労使双方が鋭く対立し、相当日数を費して協議を重ねたものといえよう。ただ、右協定期間満了後の操業度については、何ら定めるところがないから、この点については、前記事前協議協定の原則に立ち帰えり、期間満了後において、労使双方が、当該操業度における労働条件の低下の有無を検討した上で、組合としては、二九操業の実施に協力するか、あるいは操業形態の変更を求めて協議し、そのうえで操業度を定める余地を残したものと解するのが相当である。この意味では、右協定期間満了後、当然に二六操業に復帰するとの申請人の主張は理由がない。そして、成立に争いのない疏甲第九号証によれば、昭和三七年一月二〇日会社側発行の「団交ニユース」にも、協定期間が前認定のような趣旨と窺われる記載があり、当時、会社側も、期限につき、右認定のように了解していたことを察知できるものといえよう。

なお、成立に争いのない疏乙第一〇四号証、これにより成立の認められる疏乙第一一号証によれば、会社は、佐伯工場の二九操業の実施にあたり、相当数の新規採用(臨時労務者の本採用を含む)を行つたことが認められるが、前認定のとおり、右二九操業協定期限後においても、事前協議協定による協議を経て、組合と再協定を結び、高度の連続操業を引き続き実施することは十分考えられるところであるから、本件二九操業にあたり、新規採用を行つたからといつて、当然に、会社が一方的に引き続き二九操業を実施することを前提にし、組合側もこれを了解したうえの措置であるとのみ断定するのは早計であつて、会社主張を根拠づけるに足りるものではない。また、成立に争いのない疏乙第一二号証の一、二、同第一〇四号証によれば、昭和三六年九月八日、佐伯工場における新規開発事業として、イースト、核酸工場が新設され、その月産量について協定が成立し、同時に臨時労務員の社員採用等の措置がとられたことが認められるところ、会社は、右協定が、二九操業の実施を前提とし、組合もこれを了解していた旨主張するが、右協定は、本件佐伯工場における二九操業協定の四ケ月余前に調印されたものであり、加えて、前記二九操業協定成立の経緯に照らすと、これまた、会社の主張を理由づけるに足りるものではない。その他、右認定に反する証人長嶺正次、同近藤止文、同田村志朗(第一ないし第三回)の各証言および申請人本人尋問の結果の各供述記載部分ならびに、疏乙第九三号証、同第一〇一号証、同第一〇四号証、同第一〇八号証の各記載部分は、いずれもにわかに信用することができないし、他に右認定をくつがえすに足りる疏明はない。

(四)  以上(一)ないし(三)において認定判断してきたところは、要するに、本来連続操業度の決定は、会社の専権事項であり、それが前記労働協約ならびに附属協定書の成立によつて労働協約上の制約も解消し、連続操業体制が確立されるにいたつた。しかし、連続操業問題が労働条件ことに労働時間への影響が大きいため、人員の補充という面の制約を受け、会社の一方的な高度の連続操業の実施は、この点の問題を解決するか、三六協定の締結といつた要件が必要とされるのであるが、前記事前協議協定の成立によつて連続操業そのものがその協議の対象とされ(前記のように、この意味では、会社における連操形態決定権限に一種の制約が付されたことになる)、これに基づいて協議した結果、人員補充等について了解が成立し、佐伯二九操業協定が成立するにいたつた。したがつて、組合は、右二九操業協定により、昭和三七年四月二〇日までは、二九操業に協力すべき義務を負担したが、右協定期間経過後は、右協定が失効し、右協定上の義務は消滅したものというべく、右期限後における操業度の問題は、再び前記事前協議協定の対象となり、労使双方で協議を重ねる必要があるものと解するのが相当である。そこで、会社が、企業経営の必要上、二九操業を継続したいとすれば、組合がこれに反対しない限り、事実上、そのまま続行することが可能であり、組合において、これに反対の態度をとるときは、会社は前記事前協議協定に基づき組合と協議する必要が発生するのである。そして、右協議の成否の結論が出るまでは、事実上、従前の操業度を持続することになろうが、もし、右協議が整わないときは、すでに事実上の制約面であつた人員、すなわち交替要員の補充がなされている本件では、会社としては、会社の専権事項であり、しかも指定休日制という形で労働協約上も操業度決定の自由が保障されている以上、業務命令をもつてこれを強行することになろうし、他方組合においては、これに従う意思がない場合は、他の操業形態を要求し、かつ、その協議を求めて争議行為等によつて会社に対抗することになろう。これらのことは、連続操業が深く労働条件と関連し、両者を切り離して論ずることが難しいものであるから当然許さるべきものであり、つまるところ、労使双方のいわゆる力関係によつて処理され、以後の連続操業問題が解決されるものと解するのが相当である。

三、組合の五月二日の就労ならびに五月五日、六日の不就労の一連の行為について

ところで、本件解雇理由と認められる昭和三七年五月二日の就労ならびに五月五日、六日の不就労の一連の行為について、組合は、右一連の行為は正当な争議行為である旨主張し、会社はこれを争うので、以下この点について判断する。

(一)  会社は、昭和三七年三月二〇日ごろ、同年四月二一日以降も二九操業を継続したい旨組合に申し入れたこと、これに対し、組合は、同日以降は二六操業に戻すという態度でこれを拒否したこと、同年四月五日ごろ、会社は四月二一日以降の操業度を二九操業にする旨一方的に決定し、同年五月度の休転日を五月二日と指定してきたこと、組合は、これに強く反対し、二六操業形態の休転日を指定するよう要求したこと、その後組合が、自ら昭和三七年五月度の休転日を五月五日、六日、一八日、一九日、二〇日と指定し、その旨会社に通告したこと、同年四月二〇日以降も労使間で協議を重ねたが、協定が成立しなかつたこと、組合が五月五日、六日を休転日とするよう組合員に指示し、また、会社指定の一斉休日に就労するよう指示したこと、その結果、組合員は、右指示に基づき、五月二日に出勤して就労し、五月五日、六日は就労しなかつたこと、この際、実効性を高めるため、正門その他の路上にピケを張つたこと、その後も労使間で佐伯工場の二九操業問題の交渉を行つたが、協定の成立をみず、組合は五月一六日、一七日に全面ストライキを行い、ついで同月一八日以降無期限ストライキに突入したこと、一方会社も、同年六月九日、佐伯工場においてロツクアウトを通告するに至つたことは当事者間に争いがない。

成立に争いのない疏甲第六号証、同第七号証、同第一三号証の一、同第一五号証、疏乙第一三号証、同第一五ないし第二五号証、同第二六号証の一、二、同第二九号証の一、二、同第八六号証の一、証人田村志朗の証言(第一ないし第三回)により成立の認められる疏甲第一号証、同第四四号証、同第四九号証、同第六五号証、証人田村志朗(第一ないし第三回)の証言ならびに申請人本人尋問の結果を総合すると、

組合は、昭和三七年の春斗に先だち、昭和三六年一二月ごろから、各工場、職場における要求の集約に着手し、同年末に第一次討議資料を作成し、これを組合員ないしは下部組織の討議にかけ、その結果に基づいて、昭和三七年二月初旬ごろ、春斗要求案(疏甲第一五号証)を作成し、一般組合員に周知せしめる一方、再度これを組合下部組織の討議にかけ、同月一四日、一五日の両日に開催された第三回中央委員会に執行部原案として討議し、一部修正のうえ、その承認を得、最終的に、賃上げ要求、労働協約の改訂、各種協定の改訂等をその内容とした春斗要求書(疏乙第一三号証)を作成して、同年三月二日に会社に提出して要求を行つたこと、同月中旬ごろ、組合は、右春斗要求の諸項目についてストライキのための全員投票を行い、組合規約(疏甲第一三号証の一)に定めた賛成投票率(組合員の三分の二以上)を上まわる約八六%の賛成が得られたこと、その後、労使が数回にわたり、右春斗要求をめぐつて交渉を重ねたが、同月二〇日の団交において、会社は、前記のように佐伯工場における二九操業協定期限後も二九操業を継続実施する旨組合側に申し入れたこと、これより先、組合としては、高度の連続操業が、労働者の健康管理、あるいは労働災害の多発性を生み出すこと等を危惧して、強くこれに反対する態度をもつていたところから、これに反対し、佐伯二九操業問題を春斗要求書に明記することはなかつたものの、右春斗要求全般、なかんづく協約改訂の問題との関連において同時に解決する方針を明らかにし、この旨会社に伝えたこと、これに対し、会社は、操業問題は、会社の専権事項であり、指定休日制によつてもこの決定権がある旨主張し、組合がこれに応じるよう説得し、佐伯二九操業問題を承認しない限り、春斗要求に関する会社の回答を留保する旨の態度を表明し、ここに佐伯二九操業問題は、春斗要求との関連において解決される問題、すなわち会社は佐伯工場二九操業継続をその前提とし、一方組合は春斗要求中の協約改訂問題の解決により自動的に解決する問題であるとして、労使双方鋭く対立するにいたつたこと、ここにおいて組合支部は、同年五月度において、春斗要求の解決ないしは二九操業協定の成立をみない限り、二六操業を実施すること、ならびに二六操業に伴う休転日を同月五日、六日、一八日、一九日、二〇日の五日間とすることにし、本部中央斗争委員会の承認のもとに、四月一一日右要求を会社に示して協議を求めたが、会社の拒否にあつて団体交渉にいたらなかつたこと、そこで、同月一四日組合支部から佐伯工場に対し、右五日間の休転日として休務する旨通告(疏乙第一五号証)したこと、一方、本部執行部は、同月二〇日中央斗争委員長指令(疏乙第二九号証の二)で前記五日間を休日として休務し、会社の指令した休日および休転日の設定に伴う業務命令を拒否するよう組合支部に指示し、右指示を受けた同支部執行部は、これを支部組合員に同趣旨の指令を発したこと、その後、労使双方交渉を重ね、佐伯工場あるいは、本社での交渉も進展をみなかつたこと、この間、会社は、組合に対し、組合の休日指定といつた違法行為を取りやめるよう申し入れ、実行した場合はその責任を追及する旨明らかにし、組合員に対しては、会社の指示どおり、五月二日を休転日とした業務に服するよう口頭、掲示等によつて業務命令を発したこと、一方、組合はこれに対抗し、その主張にかかる休日消化を権利である旨一般組合員に教宣活動を行つたこと(但しこの点については当事者間に争いはない)、その結果、前記のように、五月二日の就労行動、同月五日、六日の不就労行動として実現するに至つたものであること、

が認められ、他に右認定をくつがえすに足りる疏明はない。

(二)  前認定の一、(三)の事実および右認定の事実、ことに右五月二日、五月五日、六日の一連の行動にいたるまでの労使双方の対立ならびに右行為が組合執行部の活動ないしは指示によるものである点をみれば、五月二日の就労行為、五月五日、六日の不就労行為は、個々的には作為、不作為の形態をとつているが、組合としては二六操業実現のための一連の行為として把握しており、また行動の形態からみてもこれを一連の行為として判断するのが相当であると解すべきところ、右一連の行為が、会社の意図した正常な業務の運営を阻害したことは明らかであるが、右事実によれば、一般組合員が組合の指令に基づき、右行動に参加するにあたり、前記春斗要求書に掲げた要求事項の交渉過程において、佐伯二九操業問題にその焦点が移行し、この点について労使が鋭く対立していたことを十分理解し、これが組合の要求する二六操業実現のためのものであり、春斗要求にも直接間接に関連をもつことを考慮のうえ、会社の業務命令を拒否し、右就労あるいは不就労行動をとつたことが推認されるから、前記一連の行為が、休日消化ないしはその設定の名目のもとになされた行為であつても、その実は、組合が従来主張している二六操業の実現を目的とし、組合ないしは組合支部の指令に基づき、統一的な行動としてなされたものであつて、これら一連の行為を全て組合の行為と認めることが相当である。そして、前認定のように、連続操業が、労働条件とも密接な関連をもつものである以上、組合が二六操業の実現を果すため、力をもつて、より高度な操業形態を主張する会社に対抗し、組合員をして行動をなさしめ、会社の正常な業務を阻害する行為そのものは、まさに争議行為そのものに他ならないといわざるをえない。(勿論、ここにおいては、行為の性質そのものに関してであつて、行為の正当性についての判断を含むものではない。)したがつて、右五月二日の就労行為、五月五日、六日の不就労行為等一連の行為は、争議行為ということを妨げない。

もつとも、前認定のように、組合執行部は、一面では、二九操業協定期限後は、当然に二六操業に復帰し、組合においてこれに見合う休転日を設定することができ、右設定にかかる休日の消化は、権利としての休日消化であるとの教宣活動を行つたことが明らかであるが、これとても、組合執行部が、争議行為とは別個のものと考え、これを意識してなされたものとは認められず、かえつて、行為の正当性を強調するための一方法として教宣したとも窺われ、このために、組合員において、錯誤を生じ争議たるの認識を欠いて行動したなど特段の事情の認められない本件では、右教宣の故に、争議行為性を否定することはできないと解するのが相当である。

(三)  争議行為の正当性

そこで進んで、右争議行為の正当性について判断する。

1  組合の争議意思の集約

ところで、労働争議、すなわち、労使双方の要求が対立した状態のなかで、それぞれその目的貫徹のために行われる争議行為が正当であるためには、行為の主体たる当事者において、正当な意思決定に基づいてなされることが必要であり、これを組合についてみるに、組合が、その要求を貫徹するために、会社に対抗し、その手段として争議行為に訴えるのであるから、行為そのものは労働組合という団体の組織的行動でなければならず、団体的組織的行動である以上、これを構成する組合員の意思に基づくことを要することは当然であるといわなければならない。(もつとも、この組合員の意思の集約の方法は、当該団体の内部的規約に待つ場合が多いが、右規約のない場合には、組合員の過半数による意思決定を意味しよう。)

この点につき、申請人は、組合規約第九九条に基づき、昭和三七年三月中旬ストライキの支持を問う組合員全員の無記名投票を行い、約八六%の支持を受けて行われたものであり、その根拠として、春斗要求事項の一である労働協約改訂要求に含ましめてその支持を組合員に問い、その結果右のような支持を受けた旨主張し、会社はこれを争うので、以下この点につき判断する。

前記(一)で認定したように、組合は、昭和三七年春斗において、その要求案を作成し、これを組合の下部組織を通じて一般組合員の討議を経て、春斗要求書を作成するにいたり、これについて、ストライキの支持を問う組合員全員による投票を行い、組合規約に定める賛成投票率を得たことは明らかである。そこで、右要求案中に、佐伯二九操業問題すなわち佐伯二九操業協定期限後は二六操業に戻すとの要求が含まれているかが問題となるが、右要求案中には「佐伯工場の操業については、現行の二九操業期限が切れれば、一三日連操に戻す、これがための斗いは、連続操業協定要求のスト権に含めて斗う」との不動文字による記載があるとともに、右「連続操業協定」とある部分をペン書で「協約改訂要求」と訂正された如き記載があるので、この点について検討を要するところ、

成立に争いのない疏甲第一五号証、疏乙第八六号の一、二(但し後記同号証の二について判断する部分を除く)、同第一一三号証、同第一一七号証、証人田村志朗の証言(第二回)により成立の認められる疏甲第三六号証ならびに証人田村志朗の証言(第二回)によれば、昭和三七年二月初旬ごろ作成された要求案(疏甲第一五号証)中には、前記のような不動文字による記載がなされていたところ、同年三月一四日、一五日開催された中央委員会において、右要求案を中心に討議を重ねた結果、春斗要求項目大綱として「賃上げ六、〇〇〇円要求」「最低賃金制の協定」「労働協約の改正」「新協約の締結」「旅費規程の改正」「不当解雇の撤回」「政暴法反対」等一〇項目にわたる大綱を決定し、同時に右項目のうち、その要求の貫徹を図るにストライキをもつて当る必要のあることを予想したが、ただ、各種要求項目別にいわゆるスト権確立の投票をなすことは、争議の対象を複雑化し、斗争方針としても当を得たものとはいえないので、スト権の確立は、「統一要求」「協約改定要求」「最賃制協定の要求」「政暴法反対」「不当解雇撤回の要求」の五本建によつて確立することとしたこと、そのスト権確立にあたつては、春斗要求項目大綱の「新協定の締結」と題する項目中、連操協定等数項目を右「協約改定要求」項目中に含ましめることに修正決定したこと、具体的には、右連続協定問題として八代、富士、富山ならびに佐伯各工場の連続操業を取り上げ、佐伯工場については二九操業協定期限が切れれば、一三日連操すなわち二六操業に戻すことをその内容として決定したこと、そして右中央委員会における右経過を一般組合員に報告した文書である中斗ニユース等(疏乙第八六号証の一、二、同第九〇号証の二)において、説明不十分なきらいはあつても、春斗要求項目の中から特にスト権確立を要する事項を抽出したうえ、協約改訂要求項目中に連続操業問題を含ましめてスト権の確立を行う旨決定され、佐伯二九操業問題についても右方針に従うことを報告していること、その結果、「協約改訂要求」を賃上げ要求その他の項目とともに一般組合員の投票に付し、スト権確立について前記の投票結果を得たものと認められ、右認定に反する疏乙第一〇四号証の記載部分、同第一〇八号証の記載部分は、いずれもにわかに措信し難いし、他に右認定を左右するに足りる疏明はない。

右事実によれば、いわゆる連続操業協定要求のスト権は協約改訂要求項目に含ましめられて確立されたことが明らかであるところ、右春斗要求案の成立経過ならびに中央委員会における討議修正決定の経緯に徴すれば、佐伯二九操業問題が、当初、連続操業協定要求のスト権に含ましめて斗うとの方針によつて討議に付されたが、右中央委員会において、連続操業協定要求のスト権を協約改訂要求のスト権に含ましめてスト権の確立を行うようになつたため、窮極的には、佐伯二九操業問題は、協約改訂要求項目の中に包含されたことになり、組合員もこれを十分認識していたものと推認することができ、この認識のもとに、前記投票がなされたのであるから、佐伯二九操業問題についてのスト権は、結局、協約改訂要求のスト権に含ましめられた形で、組合の正式な意思決定機関の決定により確立されたということができる。

もつとも、前記春斗要求書(疏乙第一三号証)中における連続操業協定要求の内容は、八代工場ならびに富山工場に関して掲げられているにすぎず、佐伯工場に関する連続操業協定要求は、これを見出すことができないが、弁論の全趣旨ならびに佐伯二九操業協定の成立時期(現実には昭和三七年二月初めで、締結日はこれより遡つて同年一月二一日付となつている)とその終期および春斗要求の内容が確定した時期が接着している経過とを総合してみると、組合としても、当時佐伯二九操業協定の期限後の見通しとして、会社のこれまでの態度からして期限後も二九操業継続を要求してくるであろうとの危惧はあつたものの、確実な見込みもなく、したがつて具体的な要求事項として成文化するに至らなかつたことも窺われ、このために、前記要求案において、この問題に対する組合の態度ないしは斗争方針として、単に「現行の二九操業期限が切れれば、一三日連操に戻す、これがための斗いは連操協定要求のスト権に含めて斗う」と提案説明したにすぎないと推認される。したがつて、佐伯工場における連続操業協定要求は、会社に対する春斗要求書との関係は別として、組合内部において、前記のように、一般組合員も春斗要求案ないし要求書の成立経過からみて、これを認識していたことが認められ、同時に、右春斗要求書に成文をもつて、「佐伯工場における連続操業協定」が明示されていないからといつて、右のように、佐伯工場連続操業問題についてスト権が集約されたと認定するに何ら妨げとなるものでもない。

また、会社は、右春斗要求案中の前記文言に照らし、右は、佐伯二九操業協定期限が到来し、組合の要求である二六操業が入れられない場合に、その時点で改めてスト権を確立する旨を説明したにすぎず、春斗におけるスト権確立投票の対象としたものではない旨主張し、成立に争いのない疏乙第一〇八号証には、右主張に副う記載があるが、右文言を会社主張のように解することは文理上困難なうえ、前認定の事情に照らし疏乙第一〇八号証は信用することができないし、その他会社主張事実を認めるに足る疏明もなく、にわかに右会社の主張を採用することはできない。

なお、成立に争いのない疏乙第八六号証の一、同第九一号証は、前者は「斗いのために」と題する同年四月二四日付佐伯支部オルグ団発行の組合ニユースであり、後者は、同年五月四日付「斗争ニユース」であつて、いずれも一般組合員に対する教宣ニユースであるが、その中に「佐伯工場の月一日休転操業協定は、協約改訂要求と切り離れた問題であるので、この一三日連操に戻すための斗いは、連操協定要求のスト権に含めて斗う」旨の記載があり、前後の趣旨が必ずしも明確でなく、ことに前段の表現は、前認定の趣旨に反するようなものと解されなくはないが、右記載全体の趣旨からみて、前段のみを切り離して考察することは妥当でなく結局、右は、前認定のスト権確立の経緯に照らし、佐伯二九操業問題が、その性質上、連続操業協定要求の一として、スト権に含めて斗うべきものであることは明らかであり、連操問題が、春斗要求項目では協約改定要求とは別項目を与えられたが、その斗争の戦術的な意味からそのスト権確立の特殊な経過を説明しようとしたものと解することもでき、これのみをもつて前記認定を左右するに足りるものではない。

以上認定してきたところを総合すれば、春斗要求に関するストライキの意思の集約過程において、佐伯二九操業協定期限後、組合の佐伯工場の操業度を二六操業に復帰させるための要求が、組合執行部においてはこれを明確に認識し、その対象として既に予定していた事項であつたが、前記のような特殊な性格を有していたため、一般組合員に対する周知徹底方法において必ずしも十分でなく、不明瞭な点は否定できないが、一方前記春斗要求案ないしは春斗要求書の成立、スト権集約事項の決定経過からみて、一般組合員においては、協約改訂要求事項の中に佐伯二九操業問題が含まれているとの認識のもとに前記スト権確立の投票に当つたことを推認することができ、したがつて、組合員としては、将来、佐伯二九操業協定期限後において二六操業復帰の要求が容れられず、労使の対立関係すなわち労働争議の発生があれば、右要求貫徹のためになされるストライキを含めた争議行為の支持をスト権の集約という形において意思を集約したものと解するのが相当である。

以上の認定を左右するに足りる疏明はない。

2  目的ないしは手段の正当性

次に、本件一連の行為の目的ないしは手段の正当性について判断する。

会社は、組合がその主張にかかる二六操業実現のため、自ら休転日を設定し、また会社指定の休転日に就労行動をとることは、そのこと自体許されない旨、またその具体的手段において著しい業務妨害行為があつた旨反論するのでこの点について判断する。

前認定のように、およそ操業度決定の自由は、会社にあることは明らかであるが、本件のように、会社が事前協議協定を締結して自らの操業度決定の権限に拘束を課し、組合との協議(この意味は前認定のとおりである)を前提として操業度の決定をなす義務を負い、これに基づいて佐伯工場の二六操業を二九操業にあらためる二九操業協定を締結するなど一連の協議体制のもとに進展している労使関係において、二九操業協定期限後の操業形態について、組合が二六操業を要求するのも、会社が二九操業協定に期限を付し、しかも前認定のように、期限後は操業度決定について組合との協議を要するとしている点からみると、期限後は協議に基づき他の操業形態への転換の可能性を残し、この意味で多分に組合の発言力ないしは介入性を認めていることに由来するとも解することができ、同時に、佐伯工場の連続操業問題が前記のように労働条件と密接な関連をもち、あわせて本件においては、春斗要求との関連においても対立抗争するに至つた点を加味すれば、会社と組合が佐伯二九操業問題とこれをめぐる春斗要求について対立し、組合がその要求実現のために力を用い、自ら休転日の設定と称して不就労行為を行い、会社指定の休転日に出勤日と称して就労行為を行うのは、争議行為の目的ないしはその手段として許されたものと解するのが相当である。また前認定のように、右行為の性質上、五月二日の就労行動、五月五日、六日の不就労行動を単なる就労行為あるいは不就労行為として分断して取扱うことは避けるべきであり、右一連の行為が佐伯二九操業を二六操業に復帰させることを主眼とし、側面から春斗要求事項の解決を図つた行動であつて、その全体の判断においてこそ、その目的実現のために許された争議行為であると解するのが相当である。したがつて、右一連の争議行為が、単なる権利争議であつて自力救済をなしたものということはできず、また、自己目的を達成するための行為であるとのみ論断するのは早計である。

ただ、一面では、会社の操業度決定の自由ないしは固有の操業度決定の権限を犯し、企業経営の本質を破壊することを目的とするような外観を呈することを否定できないが、これも、右にみたように、本件労使双方の特殊な事前協議体制を前提とし、特殊な争議経過、ことに連続操業協定と春斗要求との関連性等を考慮してなされたが故に許された行為と認められるのであつて、本件のような特殊な情況等特段の事情の認められないまま、労働条件を離れ、ただ単に操業問題のみを把え、その目的実現のために自ら休転日を設定し、会社指定の休転日に就労行動をとることは、会社の企業運営の本質を破壊し、もはや争議行為の目的ないしはその手段として正当性を認めることができないことはいうまでもない。

そこで進んで、具体的な右就労行動、不就労行動における手段の正当性についてみるに、成立に争いのない疏甲第六九ないし第七一号証、疏乙第一一三号証、同第一一四号証、証人田村志朗の証言(第二、第三回)によれば、佐伯支部組合員は、前記組合側の指示に従い、会社指定の休転日である五月二日に就労を要求して会社の構内に入構した際、守衛が入門を特に阻止したこともなく、また組合員も各職場に赴き、機械の掃除、除草等の雑作業に従事したこと、右行為は、組合の指示と統制に従つて、一応整然と行われ、その間暴力の行使、著しい業務妨害行為、機械設備に損害を与える等の暴挙、その他紛争を生じたことは窺われないこと、また佐伯支部の組合員が、五月五日、六日の両日、五月二日と同様に、組合の指示に従つて一斉に出勤を拒んだが、その際、組合としては、右組合の指示に従わない従業員のあることを予想して、出勤途上数ケ所にピケツトを張り、その説得に当つたこと(この点当事者間に争いがない)、この間、組合員において、暴力の行使その他著しい争いもなく、組合の指示と統制に従つて不就労行為を行つたことが認められ、右認定に反する疏乙第一〇五号証、同第一〇八号証の各記載部分は、にわかに信用することはできないし、他に右認定を左右するに足りる疏明はない。

右事実によれば、組合側のとつた具体的な争議手段としては、許された範囲内のものであつて、これによつて会社に有形無形の損害を生じたとしても、そのことで組合ないしは組合員にその責任を課することが許されないことは、争議行為の性質上、当然のことである。

3  争議行為の通告

会社は、五月二日、五月五日、六日の一連の組合の行為について争議行為としての通告もなく、したがつて違法な行為である旨反論するのでこの点について判断する。

成立に争いの疏甲第六、第七号証、疏乙第一五号証、同第二八号証を総合すれば、本件行動のうち、不就労行動に先立ち、組合は部分ストを決行し、会社側に対し、いわゆるスト通告を行つているのに対し、右一連の行動については、部分ストと同形式のスト通告をなしていないこと、一方組合は、昭和三七年四月一四日付をもつて佐伯支部斗争委員長名で、佐伯工場長宛に、会社が強行に五月度の操業を二九操業として、五月二日を休転日と指定したから、これに対処するため、組合としては同月分の休転日を同月五日、六日、一八ないし二〇日とする旨通告したこと(疏甲第六号証、疏乙第一五号証)また、同月二日に、重ねて右趣旨を通告したことが認められ、他に右認定をくつがえすに足りる疏明はない。

右事実と前認定の本件解雇にいたるまでの事情ならびにスト権集約の経緯とを総合すれば、会社としても、四月一四日付通告以後は、前認定の組合の態度ないしは二六操業復帰要求を明確に認識しうる状況にあり、したがつて形式的には、五月二日の就労行動の明示はなかつたが、組合が、会社の強行しようとする二九操業を打破し、その要求する二六操業実現のため、積極的に就労行動をとることは、右通告書の反対解釈と組合の態度ないしはその目的からみて明らかなことであつたものというべく、他方、五月五日、六日の不就労行動についても、右通告書に明示されているのみならず、五月二日の場合と同様に、その目的実現のための不就労行動であることも十分認識していたと解することができ、他に右認定を左右するに足りる疏明はない。

右によれば、本件一連の行為につき、組合から会社に対し形式的なスト通告というものがなされなかつたことは明らかであるが、労使の紛争を解決するために、組合が自らとるべき行動を予め前記通告書をもつて通告したことは、実質的には争議行為の通告と解するに何ら妨げになるものではない。したがつてこの点も違法がないものといわなければならない。

4  会社は、法律上の主張として、(1)、本件一連の行動が、争議行為に当るとしても、その団体として意思の集約がなされておらず、またその目的および争議行為たることの明示もなく、目的を秘匿した行為で、労使間の信義に反し違法である旨主張するが、本件一連の行動に関する組合の争議意思の形成、その通告を経て、目的を明らかにしている点は前認定のとおりであるから、右見解は採用できない。また(2)、本件争議行為は権利争議であつて自力救済は許されない旨、あるいは自己目的達成のための行為であつて、違法である旨主張するが、本件一連の行為の目的ないしは手段についての項で説示したとおりであるから右見解は採ることができない。なお、(3)、本件一連の行為につき、争議行為であるとの主張は、組合主張の休日消化の主張を否定する関係にあるから許されない旨主張するが、これは会社の独自の見解であつて、右主張自体理由がなく、右一連の行為を違法づける理由にはならない。

(四)  以上(一)ないし(三)で認定してきたことによれば、五月二日の就労行為、五月五日、六日の不就労行為は、その意思の形成、目的および手段等からみて、正当な争議行為であるということができる。

四、不当労働行為であること

以上一、二で説示してきたところを総合すれば、結局、会社は、会社の従業員である申請人が、組合の中央執行委員長として、本件正当な争議行為に関与し、これを企画指導したことを理由に会社就業規則を適用して本件解雇の意思表示をなしたこととなるから、申請人のその余の主張について判断するまでもなく、本件解雇の意思表示は不当労働行為として無効であるといわなければならない。

五、仮処分の必要性

右のとおり、申請人が、会社の従業員としての地位を喪失していないところ、申請人本人尋問の結果および弁論の全趣旨によれば、申請人は、賃金労働者であつて、賃金が生活のための唯一の収入であること、また解雇された者として処遇されることによつて社会的にも精神的にも回復しがたい重大な損害を蒙りつつあること、申請人は、本件解雇通告後も興人労組中央執行委員長の地位にあり、組合専従として報酬を得ていたが、昭和四〇年一〇月一一日、一二日の両日行われた興人労組定期大会において非専従役員となり直ちにその旨会社に通告し、同月一三日以降は従業員として就労しうる状況にあつたこと、これに対し会社は、解雇通告後は、申請人を従業員として取扱うことを拒み、昭和四〇年一〇月一三日以降の賃金の支払を拒否し現在にいたつていることが認められ、他に右認定をくつがえすに足りる疏明はない。

右によれば、本件申請中、従業員として取扱うべきことを求める部分は理由がある。

また、昭和四〇年一〇月一三日以降の賃金支払を求める申請も理由があるというべきところ、申請人が昭和四〇年一〇月一三日以降受くべき賃金が、月額金三万四、六七〇円であること、その賃金の支払日が毎月二五日であることは当事者間に争いがなく、右事実によれば、昭和四〇年一〇月一三日から昭和四一年五月末日までの申請人の受くべき賃金は、金二六万三、九三九円であり、また同年六月一日以降毎月二五日に金三万四、六七〇円を受ける権利があり、同時に、右金二六万三、九三九円については、その支払日の後であること明らかな昭和四一年五月二八日から、また、同年六月一日以降については、毎月の賃金支払日である二五日の翌日である二六日からそれぞれ年五分の割合による遅延損害金の支払を請求することができるといえる。したがつて、賃金の請求についての本件申請は、右の限度において理由があり、その余については理由がないといわなければならない。

六、結論

以上のとおりであるから、本件仮処分については、申請人のその余の主張について判断するまでもなく、会社との雇傭契約上の地位および賃金については金二六万三、九三九円およびこれに対する昭和四一年五月二八日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金ならびに昭和四一年六月一日から支払ずみまで毎月二五日限り金三万四、六七〇円および賃金支払日の翌日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度でその理由および必要があるというべきであるから、保証を立てさせないでこれを認容することとし、その余の点については理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 井上藤市 田畑豊 中根与志博)

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